父親の影響でスコットはゴルファになったが自宅にあった旋盤、研削機などで友人に作っては提供していたそうです。その後レイクックに転職してクラブデザインなどを学び、後のクラフトマン人生の礎になった。最初の商談は日本のミズノでジャック・ニクラウスが当時の全米オープンで使用し注目を浴びることになりました。独立したスコットはクラシックシリーズを手掛け、デイビス・ラブⅢ、ペイン・スチュワート、中島常幸などに使用され愛されるようになっていきます。なのでスコッティ・キャメロン氏と日本との深い関係があったのです。のちに、タイトリストのウォーリーユーレイン社長から電話で食事に誘われ『ツアープレイヤーのパターだけでなく、パターのロレックス、ロールスロイスを作りたい』という言葉により未だに両社のコラボが続いているのです。